バラ色の高校生活

少し年の離れた弟が、春から高校生になる。

私の高校時代はバラ色まではいかなくても、少なくとも灰色ではなかった。
部活動には入っていなかったけれど、バイトしたり委員会に入ったり実行委員をしたりしていたので、日々の生活はとても充実していた。


委員会はなんだかんだ美化委員を3年間続けて、2年生のときに委員長も務めたし、3年生のときには副委員長を務めつつ吸収された先の学校との統合に関する活動を認められて(?)、生徒会活動にも携わった。

通っていた高校は私が卒業するタイミングで閉校してしまったけれど、そのぶん思い入れは人並み以上だ。同級生はもちろん、吸収された先の学校の後輩たちと今も交流があるのは嬉しい。


高校は学生生活の中で一番楽しかった。
大学も楽しかったけど、高校は高校で、お金も時間も無い中でできることを全力でやっていた。
私がいた学校はとても自由な校風で、制服もなかったし、生徒手帳に書いてある規則も「時間を守りましょう」ぐらいしかなかった。服装など外見に関する規定がなさすぎて、生徒が揃いで持っているものといえば体育館履きと生徒手帳ぐらいだった。
そんな自由を与えられている代わりと言ってはアレだが、先生は基本何もしてくれない。授業や指導は行ってくれるが、行事や自治活動について口出ししてこないし代わりにもやってくれない。そのため、生徒たちで考えてできる裁量は与えられているものの、高校生にはかなり重いタスクだったと思う(もちろん困って声を上げれば助けてくれたが)。
そんな環境で、親も私を放ってのびのびさせてくれたのはありがたいと思う。勉強は落ちこぼれたけど、したいことは全部できていたし、学校や親に対して不満に思ったことはまったく記憶にない。

先生もいい人たちばかりだった。変な先生はいたけど、個性的という感じで、それもそれで校風にあっていてよかった。特に個性的だった地理の先生の母校に私は進学し、意図せず後輩になってしまったのはちょっと不服である。


私が高校生活に全くと言っていいほど不満や後悔が無いからか、弟が進路で迷っているとき、私は公立を勧めた。彼の両親も公立出身だったし、姉も公立なので、まぁ私立がどんなものなのか知っているひとがそもそも居なかったため至極当然の話の流れだ。本当は、母校を勧めたかったけれど、もう無いし、吸収された先の高校は中学入試のみなので、公立がいいんじゃない、とだけ伝えた。
弟が受かったのは割と質実剛健、真面目な校風なので、彼に合うかどうかはまだわからない。でも、人数が多いぶん、いろんな人がいると思うのでたくさん友達を作って欲しい。後にも先にも10代は1度きりだし、高校時代の友達は一生モノだと伝えた。ぽかんとしていたので、多分意味はわかってくれていないが、不安と期待でドキドキしている弟にとっては期待をふくらませる言葉であってほしい。
去年の秋頃から、受験期だったので弟と会うのは控えていたけれど、合格ときいて合格祝いを持っておめでとうを伝えに先週弟に会いに行った。ちょうど春からの新生活に向けていろんなものを買う準備をしていたところだった。お財布や定期入れをどうする、とか。カバンをどうする、とか。スマホを買い替えて嬉しそうにしていた。いいなぁ。キラキラしてて。
合格祝いは散々迷った挙げ句、ギフトカードにした。図書カードでもよかったんだけど、使用用途が限られるのは私の本意ではなかったし、新生活の準備をしているのを見てギフトカードにしてよかったと思った。ちょうど使えるじゃん。
父に「弟にも恋人ができるのかなあ、連れてきたりして」と話しかけたら、「恋人ぐらいできたほうが、身なりとか内面とかきちんとするし、できたほうがいい」と言っていた。高校生の時に私にも同じようなことを言われたことを思い出した。そんでもって父には彼氏を紹介していた。父も毎回快く迎えてくれた。あのときの私は身なりとか内面とか、まだまだダメなところが多かったからなぁ…それは今もかもれない。ううむ。
父がいうとおり、確かに弟はかなり大雑把なところがある。部屋も汚いし、靴下を左右別で履いていたりする。恋人ができたら、変わるんだろうか。外見とかも気にしたりするんだろうか。人並みには気を遣ってほしいなとちょっと思ったりはする(将来が心配)。


弟には、たくさんときめいてほしい。それは恋も、勉強も、部活でも、なんでもいい。胸が躍るような高校生活を、送ってほしい。それを私ぐらいの年令になったときに、振り返って、「灰色ではなかったな」と思ってほしい。